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アンカー 1
We are SAVIORS
私たち茨城セイバーズは、
2012年のチーム設立から12年目に入りました。
私たちの活動に大きな転機となったのが2011年の東日本大震災でした。
発生当日、
私は地元である福島県のいわき市小名浜にて被災しました。
家族や仲間などの無事すら確認できずライフラインを断たれ、先の見えない不安に押しつぶされそうになりながらなんとか生活していたことを今でもハッキリと記憶しています。
福島第一原発の放射能漏洩により地元いわき市からも避難者が続出し街の中から人が消えた光景を忘れることはありません。
茨城県水戸市へ訪れたのはそれから3週間後、新年度へ差し掛かった頃になります。
茨城県の被害状況はほとんど放送されておりませんが、
鉾田市や常陸大宮市など8市で震度6強、すべての市町村で震度5弱以上を観測するなど甚大な被害があったことはほとんど報道されませんでした。
後の報道機関の記事で茨城県は“忘れられた被災地”と表現されておりますが、
そんな状況にもかかわらず水戸で出会った方々は私に対して一様に温かく迎え労わってくださいました。
このことから近い将来この水戸に住まいを移したいと感じるようになりました。
(2014年、水戸へ移住)
震災から1年後の2012年3月11日を起算日に“草チームからXリーグを目指す”という想いの下に“セイバーズ”を立ち上げました。
掛け替えのない仲間たちと出会い、
"NCFL"【北関東フットボールリーグ】(2015年まで所属)、
"UFL"【アーバンフットボールリーグ;通称 江戸川リーグ】(2016年~2017年に所属)、
そして2018年に満を持してNFAの門を叩き"X‐league"へのチャレンジに至ります。
2019年、X2昇格を自力で残留を果たした私たちですが、
昨年以上の成績を残すべく飛躍を期した2020年、
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延に伴い茨城県のガイドラインに順じこの年の公式戦を辞退することとなりました。
今一度の船出となった2021年にもCOVID-19の影響から公式戦を辞退せざるを得ず、
首都圏へ乗り込んでの公式戦を戦ったところでお客様も試合会場へ来ることが出来ない状況から首都圏で戦うことへの疑問が生じ地元で公式戦を行うことを考え始めました。
無観客ながら初めてホームゲームを行った2021年、
地元で活動を根付かせていくことの大切さを痛感した私は行政との連携を模索し始めます。
2021年9月24日に鉾田市と2022年8月24日に行方市とホームタウンとしての連携を図る取り交わしを行うことで2022年には国内アメリカンフットボールで初めてホームゲームを3試合(全6試合)誘致することに成功しました。
また2022年5月より始めた小学校などで体育の授業にフラッグ教室を行う“茨城セイバーズ スポーツキャラバンプロジェクト”も2022年度は全8回で530名に出張授業を行っております。
私たちはアメリカンフットボールチームとしての成長を模索する中で提携する両市の課題や抱える悩みを知ることとなり、与えてもらうだけの一方通行から私たちが存在することで達成できる役割を考え始めました。自分だけが良ければよいという利己的な考えに陥ることなく、利他的かつ自他共栄の理念と明確なビジョンを在籍者とも共有を図りながら着実に前進して参ります。
そして私たちは2023年3月11日から“茨城セイバーズ スポーツ&カルチャー”(別称 茨城セイバーズグループ)という総合型クラブとして活動して参ることとなりました。
本当の意味での地域貢献とは何なのか、一方通行でただの押し付けになることなく地域経済の活性や人口流入など茨城セイバーズが果たす役割や存在する意義をしっかりと考え、スポーツに留まらず地域文化の継承にも目を向けながら活動して参ります。
茨城セイバーズグループをどうぞ宜しくお願い申し上げます。
茨城セイバーズ スポーツ&カルチャー
(合同会社 トータルライフクリエイト)
代表 近藤 秀則
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